エヴァンゲリヲン破感想(多分1)

とりあえず旧版については長いの書いたので貼りhttp://d.hatena.ne.jp/ISC/20090221/1235197354

やっとエヴァンゲリヲン新劇場版破をやっと見ました。
あとでなんかまとめて書きたいんですけれどもとりあえず感想程度に。まだ一回見ただけなのでいまいち頭が整理できていません。
で、書き終わって気付いたららあんまりネタバレ配慮してないのに気付いたらほとんどネタバレしてませんでしたね。
やはり前評判通り映像や音響がすごかったです。そして案の定、新キャラがかなりキテましたね率直にいってかなりツボです。
とりあえず、その新キャラクターの感想から
いきなり非常にインパクトの強い感じで登場したマリですが、いわゆるエヴァにこれまでほとんど出てこなかった「生きるということ」「何かするということ」にポジティブな人間です。東浩紀さんがブログでマリを西尾維新的キャラみたいに表現していましたが、まさに西尾維新の『戯言シリーズ』の匂宮出夢に近いキャラで身体感覚的・動物的なキャラとして描かれています。結局、エヴァのテレビシリーズの原理というのは、シンジくんが「エヴァに乗る」=社会にコミットメントするかどうかということを話の原理にしていました。この世界にコミットメントするのかどうかという話で何かをするには個々の理由がなければそういうことをしてはいけないという原理によって話が展開しました。一見エヴァに乗ることに躊躇がないように見えるアスカも理由に縛られてのっていました。テレビ版エヴァも劇場版エヴァも「エヴァに乗らなくていい」(=引きこもってもいい・逃げてもいい)のかということを結局のところは最後の問いとしてぶるけている気がするわけです。そして、シンジくんは「エヴァに乗る」=「これをする自分」ではなく、「エヴァに乗らない」=「こうである自分」を認めて欲しいという願望を持っていたわけです(そしてそんな自分を認めてくれるのは母親以外にはありえないわけですね)。これと違い、「楽しいからイイ」「生きているだっけでめっけもん」という真稀波は、エヴァの世界の外部的なキャラクターだといってもいいのではないでしょうか。彼女は大人に押し付けられて「エヴァにのり」その理由を葛藤するという行動原理ではなく、そこに楽しいから「エヴァに乗る」というゲームに参入するということをしていたわけです。だから、その性もあって彼女を破のストーリーに組み込んで話すということは意外に難しい気がします。
ただ、やはりアスカではなくて新キャラクターを出したことにはそれなりに意味のあることであるという気もするので、その点に関して考えてみるとマリがエヴァに出てきた意味というのは二つあるのかな、という感じがしました。一つは先述したようにエヴァに乗る理由を巡るものです。これは批評家の宇野常寛が『ゼロ年代の想像力』の中で指摘した90年代的なセカイ系(=ひきこもり系)から00年代的な決断主義系(=サヴァイブ系)への移行という言葉で要約できるものである気がします(実はこれも微妙に違う気もするのですが、ここではとりあえず省略しておきます)。もう一つの機能としてはマリが作劇上の意味でも物語の構造的な意味でもアスカのカウンターパートとして機能しているということが大きいです。アスカはエヴァに乗ることに関して躊躇のないキャラとしてはじめは描かれており、後半になるにつれてそんな彼女もトラウマを持っており、彼女なりの理由があったことが語られるわけです(ちなみにアスカのトラウマ話はRDレインの『引き裂かれた自己』という分裂症を扱った精神分析の本にほとんどそのままの症例がでてきます)。それでもアスカというのはエヴァという物語の外部的な場所に常に居続けました。けれども、そのアスカの立ち位置をマリが奪ったことによって、アスカは必然的に物語の内部に入り込んでこざるを得なくなりました。だから初めは伏せられていたアスカの内面やトラウマは様々なガジェットによって即表現されていました。例えば人形もそうですが、アスカがずっと携帯ゲーム機をやっているのもシンジのウォークマンと類似した意味がある気がします。携帯ゲーム機っていうのは開いているように見えて実はすごく閉じたメディアです。非常にアスカっぽいアイテムな訳ですね。中盤の学園エヴァ的・碇シンジ育成計画な場面もその延長線上で読解できる気がしますが、今回はおいておきます。アスカの立ち位置が奪われたら当然のことながら旧劇場版の結末にはなりません。なぜならエヴァの結末というのはエヴァの内部(=綾波)と同化するのではなく、「気持ち悪い」といわれるかもしれないエヴァの外部(=アスカ)を選ぶという結論だったわけです。ただ、その外部をマリが奪ってしまった以上そのロジックはもう使えなくなったわけです。では、アスカの代わりにマリがそういう位置を占めるキャラになるのかというとそうはならないと思うんですね。それだとただの縮小再生産ですからね。やっぱりアスカ・ミサト・レイは間違いなく重要キャラであり続けると思うわけです。

さて次はミサト、アスカとレイの学園シーン・ゲンドウの話とかシンジくんは変わったのか問題なんかの感想も書きますかね